日本では八百万の神という言葉を聞くことがある。
数字にして800万という数が登場し、これは八百万という単語が実に多くの数という意味で使用されているからである。
日本は世界的に見て非常に特徴的な考え方が存在し、それを象徴するものの1つが森羅万象(あらゆるもの)に神が宿るという考え方である。
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このことからわかるように、決して800万種類の神がいるというわけではない。
古事記だけでなく日本書紀などの文献にも八十神や八十万神といった表現が見られ、共通する点である「八」という漢数字がどうやら縁起が良い数字のように認識されていたと同時に、多くの数を表す表現としてもたくさん用いられていたと考えることができる。
日本神話では天照大神や素戔嗚尊などが有名であるが、神様は彼らだけではないのだ。
ここには日本独特の、森羅万象に神が宿るという考え方が存在する。
あらゆる物事は神によって生み出され、それら全てにはそれぞれの精霊が存在するというもので、日本のように四季の変化やそれに伴う豊かな自然を感じる国民性が自然そのものを神のように崇拝するといった考え方を生んだとされている。
これらは元々八百万という表現がされていたわけではなく、多くのものに精霊が宿るという思想が時を経つにつれて神と変化し、八百万の神々として現在まで語り継がれるようになった。
また、10月を神無月と呼ぶ理由は、これら八百万の神々が10月になると出雲大社に集まるために、各地に神がいなくなってしまうためである。
そして興味深いことに、日本の八百万の神々には姿が無い。
世界中の神を崇拝する組織(主に宗教)では神の姿が描かれ、偶像崇拝禁止(あくまで神の形はあるとされる)などの宗教側にとって都合のよい場合などが存在するもの、本来その姿が無い神々が存在することは日本の特徴なのだ。
さらに日本の八百万の神々は自分から何かを要求するわけでもなく、ただそこに存在すると信じられているだけであり、生贄を求めたりする世界の神々とは大きく違う。
ある意味日本人の国民性を象徴するかのような八百万の神々、静かに人間を見守る姿を想像するとどこか可愛らしいものがある。