誰しもが子供の頃に
「悪いことをすると地獄に落ちる」
と言われた経験があるだろう。
しかし、
地獄とはどのような場所か、人は地獄でどのくらいの期間にわたって罰を受けるのか、実際にそれらを知っている人は少ない。
地獄の実態は、今ほど文明的でなかった時代の人間が聞けば震え上がるのも頷ける。
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以下多少グロテスクな内容なので続きを読む場合は注意
まず予備知識として、今回紹介する地獄は仏教における地獄(以下地獄)である。
地獄とは仏教における世界の最下層に位置する世界で、
十界
(地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界)
または六道(天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)
における最下層に位置づけられている場所である。
罪を犯した人間が死後に向かう世界であることは言うまでもない。
地獄は8つの階層で成り立っている。
これを八大地獄といい、一般的に地獄とされる場合は、この八大地獄を総称して地獄とされていることがほとんどである。
八大地獄は上(人間界から近い方)から順に
等活地獄
黒縄地獄
衆合地獄
叫喚地獄
大叫喚地獄
焦熱地獄
無間地獄
から成り立っている。
また下層ほど刑罰はより苦しみを伴うものになり、刑期も長いものになる。
等活地獄(とうかつじごく)
主にに殺生をした衆人が落ちる地獄で、虫を殺した者であってもそれを悔い改めなければこの地獄に落ちるとされている。
悔い改めれば良いという解釈が成り立つ理由は、虫を殺した者であると範囲が広いため、ほぼ間違いなくすべての人間が地獄に落ちてしまうことになり、
「どうせ虫殺したことあるからどれだけ殺生しても変わらないぜ!」
といったような発想が生まれると考えられる。
これでは宗教に根底である死後の世界によって人を律することが難しくなると思われるために救済措置が作られたのだろう。この等活地獄の中の衆人は互いに害心を抱き、自らの身に備わった鉄の爪や刀剣などで殺しあう。そうでない者も獄卒に身体を切り裂かれ、粉砕されて死ぬが、涼風が吹き、また獄卒の「活きよ、活きよ」のという声で元の身体に等しく生き返る。
このような責め苦が繰り返されるゆえに、等活地獄という。地獄での刑期は衆人(刑を受ける人間)の寿命によって決まる。
この等活地獄での衆人の刑期(寿命)は500年。
しかし人間界の500年ではなく、等活地獄の500年である。
刑期は、人間の50年間が等活地獄の1日1夜(つまり1日)であり、これが500年続く。
これは、人間界の時間に換算すると約1兆6653億年である。
黒縄地獄(こくじょうじごく)
主に殺生、盗み
等活地獄までの罪状に加えて盗みを犯した者が落ちる。等活地獄の下に位置し、獄卒は衆人を捕らえ、焼けた鉄の地面に倒し、熱く焼けた縄で身体に墨縄をうち、熱く焼けた鉄の斧もしくは鋸でその跡にそって切り裂き、削る。
また左右に大きく鉄の山があり、山の上に鉄の幢(はたほこ)を立て、鉄の縄をはり、罪人に鉄の山を背負わせて縄の上を渡らせる。すると罪人は縄から落ちて砕け、あるいは鉄の鼎(かなえ)に突き落とされて煮られる。
この黒縄地獄の苦しみは、等活地獄の苦しみよりも10倍である。刑期は、人間界の100年を1日とした場合の1000年間が黒縄地獄の1日で、それが1000年間続く。
これは人間界の時間に換算すると約13兆年である。
衆合地獄(しゅうごうじごく)
主に殺生、盗み、邪淫、
黒縄地獄までの罪状に加えて淫らな行いを繰り返した者が落ちる。黒縄地獄のさらに10倍の苦を受ける。
衆人は鉄の山が両方から崩れ落ち、圧殺されるなどの苦を受ける。
剣の葉を持つ林の木の上に美人が誘惑して招き、罪人が登ると今度は木の下に美人が現れ、その昇り降りのたびに罪人の体から血が吹き出す。
また鉄の巨象に踏まれて押し潰される罰も受ける。上層に位置する2つの地獄よりも刑罰の内容が軽い気もするが、案の定景気の長さは気の遠くなるものである。
刑期は、人間の200年を1日とした場合の2000年間がを衆合地獄の1日で、それが2000年間続く。
これは人間界の時間に換算すると約106兆5800億年である。
叫喚地獄(きょうかんじごく)
主に殺生、盗み、邪淫、飲酒、
衆合地獄までの罪状に加えて、酒を飲んだり売したり、酒に毒を入れて人殺しをしたり、他人に酒を飲ませて悪事を働くように仕向けたり、などということも条件になる。
酒に関連した行いは総じて罪になるという認識で問題ない。衆合地獄のさらに10倍の苦を受ける。
衆人は熱湯の大釜や猛火の鉄室に入れられ、号泣、叫喚する。
その泣き喚き、許しを請い哀願する声を聞いた獄卒はさらに怒り狂い、衆人をますます責めさいなむ。
頭が金色、目から火を噴き、赤い服を着た巨大な獄卒が罪人を追い回して弓矢で射る。
焼けた鉄の地面を走らされ、鉄の棒で打ち砕かれる。刑期は、人間の400年を1日とした場合の4000年間がをこの叫喚地獄の1日で、それが4000年間続く。
これは人間界の時間に換算すると約852兆6400億年である。
大叫喚地獄(だいきょうかんじごく)
主に殺生、盗み、邪淫、飲酒、妄語(嘘)
叫喚地獄までの罪状に加えて嘘をついた者が落ちる地獄。
叫喚地獄のさらに10倍の苦を受ける。叫喚地獄で使われる鍋や釜より大きな物が使われ、更に大きな苦を受け叫び喚(な)くという叫喚地獄の上位交換。
刑期は、人間の800年を1日とした場合の8000年間がをこの大叫喚地獄の1日で、それが8000年間続く。
これは人間界の時間に換算すると約6821兆1200億年である。
焦熱地獄(しょうねつじごく)または炎熱地獄(えんねつじごく)
主に殺生、盗み、邪淫、飲酒、妄語、邪見
大叫喚地獄までの罪状に加えて、仏教とは相いれない価値観(異教など)を実践したものが落ちる地獄。大叫喚地獄のさらに10倍の苦を受ける。
常に極熱で焼かれ焦げる。
赤く熱した鉄板の上で、また鉄串に刺されて、またある者は目・鼻・口・手足などに分解されてそれぞれが炎で焼かれる。
焦熱地獄の炎に比べると、それまでの地獄の炎も雪のように冷たく感じられる。
そして、豆粒ほどの焦熱地獄の火を地上に持って来ただけでも地上の全てが一瞬で焼き尽くされるほどの驚異的な炎である。刑期は、人間の1600年を1日とした場合の16000年間がをこの焦熱地獄の1日で、それが16000年間続く。
これは人間界の時間に換算すると約5京4568兆9600億年である
大焦熱地獄(だいしょうねつじごく)または大炎熱地獄(だいえんねつじごく)
主に殺生、盗み、邪淫、飲酒、妄語、邪見、犯持戒人。
焦熱地獄までの罪状に加えて、犯持戒人(尼僧・童女にたいする乱暴)をした者が落ちる地獄。焦熱地獄のさらに10倍の苦を受ける。
衆人は焦熱地獄より極熱で焼かれて焦げる。
その炎は最大で高さ500由旬(ゆじゅん)現在に置き換えると3500km、横幅200由旬あるという。罪人の苦しみの声は3000由旬、現在に置き換えると21000km離れた場所でも聞こえる。
劫(こう)注意))ここでは仏教の地獄を取り上げているために、由旬を仏教でいうところの段位(約7km)で計算
刑期は半中劫(はんちゅうこう)で、これは宇宙が終わる時間までの半分という意味である。
無間地獄(むげんじごく)
主に殺生、盗み、邪淫、飲酒、妄語、邪見、犯持戒人、父母・阿羅漢(聖者)殺害。
大焦熱地獄までの罪状に加えて、家族や聖者(仏教でいうところの僧侶)を手にかけた者が落ちる地獄。聖者に対する殺生が個別に存在する理由は、一般社会に対するの宗教の優位性を誇示するためと思われる。
大叫喚地獄の1000倍の苦を受ける。
地獄の最下層に位置し、大きさは前の七つの地獄より広く、縦横高さそれぞれ2万由旬(140000㎢)。
無間地獄に落ちるまで、まっ逆さまに(自由落下速度で)落ち続けて到着するまで2000年かかる。
剣樹、刀山、湯などの苦しみを絶え間(寸分・刹那)なく受ける。
背丈が4由旬(28km)、64の目を持ち火を吐く奇怪な鬼がいる。
舌を抜き出されて100本の釘を打たれ、毒や火を吐く虫や大蛇に責めさいなまれ、熱鉄の山を上り下りさせられる。これまでの地獄さえ、この無間地獄に比べれば夢のような幸福である。刑期は明確に示されていないが、
1辺が1由旬(7km)の巨大な正方形の石を、100年に1度薄い布で軽くは払う。富士山の約2倍の高さの正方形の岩と考えればわかりやすい。
その作業を繰り返し、石がすり減って無くなるまでよりも長いとされている。
阿修羅双樹
2015年1月30日 07:20
はいはい、ワロスワロス
なんだこれは。
阿呆のひとりごとか。
いやらしい仏教徒か。
こういったごまかし地獄に陥った者は
持論を既に捨て調べる演技に取り付かれその実只かねを稼ぐだけのなんと調べる欲ですらない
金を増やす欲に取り付かれた者である。
このようなものは人が生きる心も知らずその表面ですらない完全な地の中の境界線でしかない不動産の縁起に取り込まれている。
心を知ることなく物質の世界の中でお金の重い少ないの天秤に従いより物質の世界が酷い牢獄の重金地獄に閉じ込められていく。
心や神聖な光から遠い場所で金の量だけを気を配りほかには何も考える事ができない。
常に他人の言動に注意し、金を稼げ無くなるような地獄の人生の邪魔になるようなことに対しては軽い批判で治めようとし、それでも相手が聞かなければ簡単に金で釣ろうとし、それでも釣られなかったらこれは金を脅かす地獄の破壊者だとして猛然とした業火を受けて燃えながら爆死。
哀れな自演に走る。
このように仏教徒ですら金の業火に焼かれて今も苦しんでいる、のかもしれません。
しかし本当に苦しんでいるのは心を守るために物質の世界と断固断縁をして居る人々であるはずです。その人々でなければどうして心を持つことができるでしょうか真に。
これ恣意的な欠き方やな~
知能と内容と知識と良識のずいぶん恣意的な欠き方されておりますやんこのブログ~・・・
聖者に対する殺生が個別に存在する理由は、一般社会に対するの宗教の優位性を誇示するためと思われる。
なにこれ。
縁起が良い聖者はそれだけ大きな輪で良い縁起があるため
それを破壊する程度の縁起とは既に物が存在していることをこまこまといちいち微粒子感覚で削っていっていくようなちまちま~とした行き方をしているという。
そのためまるで西洋哲学の先の物理学のようにちまちま~としたものを細かく削っていることは大変なことだということからそれは地獄であるとしたものである。
確かにちまちま~としたものを解析しいちいち微粒子感覚で触る事ができるのは細かさの点ではよいが、しかし効率やまた、自己が保たれるのかと言う点ではアウトや。だから、縁起が悪いと言う。
逆に言えばそんなちまちま~とした事をしなければいちいち生きていることも判らないというとんでもない不吉な暴風に呑まれているといった縁起とも居える。住宅街の道路に入っていけなければ、永遠に高速道などで晩を明かし、それはつまり長距離運転手である。このような落ち着く心のない荒っぽい縁起にとらわれた者は大変な地獄、人々が使う何の変哲も無い日常品をダンボール越しになるべく傷つけないように輸送してそれでも内容を知ることなく死んでいくと行った事を繰り返してやっと生きていたのか死んでいたのか。判らないほどというほどではないが、判っているのはごくわずか。そんな無駄の多いこまか~いちまちまとした生き方はダサいと仏教徒が戒めておるのです。当たり前です。
聖職者に関しても縁起が良いです。力あるものは聖職者を簡単に壊しますがそれはより大きい縁起だからこそ壊せるのです。しかし聖職者にも満たないような縁起を持つものが権力だからなどと意味の無い批判をしても何も判る事などないのです。権力を持っていたことは判っても何も判りません。それはチマチマ地獄なのです。遅いです。
はいはい、ワロスワロス