キリストの墓と聞いたときに漠然とイメージできる人は少ない。
キリストの墓と称されるものは世界中に存在し、代表的なものとしてエルサレムに存在する2つの墓が挙げられる。
しかし、どちらの墓にもキリストの亡骸は存在していない。
これは一体何を意味するのだろうか。
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つまり、キリストの墓は存在していてもそこに亡骸が存在しないことは当然であるというのがキリスト教的発想ということになる(これがキリストの墓が各地に存在する理由にもなっている)。
逆に考えれば、正当なキリスト教信者からするとクリスチャンでありながらキリストの亡骸を墓として祀るのは異端(聖地としてならば成立する可能性はある)であり、本当にキリストが埋まっている墓など存在してはいけないということになる。
そんなキリストの墓であるが、2007年の3月にアメリカのドキュメンタリー番組でキリストの関係者の墓に関する奇妙な内容が放送された。
その内容は、1980年にエルサレム郊外でキリストの家族の墓が発見されたというもので、キリストの墓ではないもののその墓に刻まれた名前はマリア・ヨセフ・マタイなどといった者達であった。
この発見に研究者たちは唖然とし、
「当時はよくある名前であり、キリストの関係者と断定することは軽率である」
として調査を打ち切ったというものだった。
エルサレムには先述したようにキリストの墓が存在しているが、そこには当然亡骸は存在しない。されに世界に目を向けるとそこには多くのキリストの墓と呼ばれる場所が存在している。
インドのカシミール地方にはキリストの墓と呼ばれる場所が存在し、その地を守る一族は今なおユダヤ教徒であることが許されているといわれている。
日本にもキリストの墓として有名な青森県青森県新郷村(旧戸来村 へらいむら)に存在する墓がある。
これらの墓には当然キリストなど埋まっていないのだが、なぜそんなものが各地に存在しているのか。
かつてキリシタンたちは多くの場所で迫害されていた。それにも負けることなく熱心な信仰を続けていた者達であるが、そんな者達のも自身の信仰の支えとなる存在が必要だったが、当然イスラエル周辺と何のゆかりもない地域にキリストに由来するものなど存在するはずも無かった。
そこで考え出したと思われるのがキリストを彷彿とさせる新たな信仰の対象である。
キリストを象徴する者が深い信仰に必要だった。
そこで生み出されたのがキリストの墓とされる場所なのだろう。
キリストがそこに埋まっていると信じることによって、より深い信仰を保つ。あるいは当時の信者たちをまとめる為には都合がよかったのかもしれない。
エルサレムから離れた地ならばキリストが昇天した後に降り立ったなどという解釈も成り立つことや、そもそも聖書の厳密な解釈を行っていなかったことなども考えられる。
キリストの墓やそれに酷似する場所、実際にはこのような背景があるのだろう。