キリスト教の聖地は世界各地に存在する。
聖地といっても、カトリックに公認されている聖地もあれば地元住人によって聖地として崇められている場所もあり、その成立過程は実に様々だ。
前者の場合、聖書の記述に何らかの関係がある場所が多く、後者の場合、歴史上何かが起きた場所であることが多い。
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十字架の丘は政府や地方自治体によて管理されているわけではなく、ただそこに供えられた十字架によって物悲しい風景を漂わせている。
5万本を超える十字架群がこの場所に存在する理由、それはロシアによるリトアニア支配だ。
リトアニア人たちはロシアによる支配に対抗し、1831年と1863年の2度に渡って反乱を起こしたのだが、いずれもロシアによって鎮圧されて多くの死者が出た。その者達を悼しむため、丘に十字架が立てられたことが十字架の丘の始まりとされている。
十字架の丘が誕生した後の1918年にロシアからの独立を果たしたリトアニアだったが、1944年から1990年までの長い間に再びロシア(ソ連)の統治下に置かれた。その際十字架の丘は、非暴力によって支配に抵抗する国民の心の拠り所となった。事態を危惧したロシア(ソ連)によって十字架の撤去されてしまうこともあったが、その都度新たな十字架が立てられて十字架の丘はその姿を守った。
本来は聖書の出来事と何の関係も無い十字架の丘。今では強い信仰の心を表した場所であるとしてローマ法王も認めた聖地となっている。ちなみに一般人であっても出入り可能で、リトアニア人だけでなく多くの観光客が訪れる場所となっている。