near death experience 900x687 臨死体験の事例。歴史に残る体験談と共通点。
今も昔も死後の世界の存在は我々の中に無意識に存在している。

無宗教が多い我々日本人でもふと気が付くと
「天国ってどんなところなんだろう」
などと考えることがある。

そんな死後の世界は科学的根拠こそ無いものの、歴史上多くの人々が臨死体験という形でその光景を目撃している。

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臨死体験はどんな人にも突如としてやって来る。世界中でそのような事例が報告されているように、歴史上の人物の中で臨死体験の経験を記録に残している人物がいる。

カール・グスタフ・ユングの事例

地球の姿を初めて宇宙から見た人物であるソ連の宇宙飛行士のガガーリン。そんな彼よりも前に地球の姿を見ている人物がいる。スイス人の精神医学者であり分析心理学の創始者であるユングである。彼はフロイトの後継者と目されるほどの優秀な人物である。

そんなユングは1944年に心筋梗塞を発症して生死の境を彷徨うのだが、その際に臨死体験という形で地球の姿を外側から目撃する。臨死体験の最中に宇宙空間に浮かぶヒンドゥー教の礼拝堂を目撃して近づいてみると、彼の経験してきたものや考えていた物事が走馬灯のように浮かび上がり自身から抜け出していくように感じたとされている。この臨死体験はユングの人生に置きな影響を与え、後に『転移の心理学』や『結合の心理』などの代表的な著作を送り出している。
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夏目漱石の事例

以前は1000円札の顔として、日本屈指の文豪として知られている夏目漱石。そんな日本人ならば誰でも知っている有名人は臨死体験者の1人である。

1910年8月24日、当時43歳の夏目漱石は持病であった胃潰瘍が原因で800gの吐血を起こして生死の境を彷徨う。この体験は著書の1つ『思ひ出す事など』に書かれている。それによると突然高くなっていく青い空が見えた後に心の中が無の状態となり、どのように表現すればいいのかわからない不思議な気分になった。意識が希薄になると同時に体が浮いているような感覚に陥ったという。体の位置はそのままに、自身の下に敷かれた布団がそのまま無くなってしまったような感覚であったとされている。
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このような臨死体験は一般人の中にも体験者が多く、これまでにも科学的な見地から様々な調査が行われてきた。

アメリカの心理学者レイモンド・ムーディは1965年から50人の臨死体験者に聞き取り調査を行いその分析結果をまとめた。どうやら死に瀕した人間にはその人生や背景に関係なくある共通した特徴があるというものだった(臨死体験全体の特徴)。

・言葉で表現できない感覚
・死の宣告が聞こえる
・心に安らぎを感じる
・不思議な音を聞く
・暗いトンネルに入る
・幽体離脱
・知人との再会
・光を見る
・走馬灯による回想
・生死の境を見る
・蘇生する
・臨死体験を口外する
・臨死体験によって生活に変化が表れる
・死に対する認識の変化
・死後の世界の存在を信じる

これらの特徴は現在でも臨死体験の基礎に位置づけられる。
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同じくアメリカのコネチカット大学のケネス・リングは100人を超える臨死体験者のデータを基にいくつかの法則を明らかにした。

臨死体験者の60%が心の安らぎ(これまで抱えていた一切の不安が消える)を経験、30%以上の人間が倒れている自分自身を目撃して魂が肉体に戻ることで意識を回復したと証言していることなどであった。

ケネス・リングの調査結果による臨死体験の共通点

・心の安らぎ
・体外離脱
・暗いトンネルに入る
・光を見る(明るい世界に入る)
・走馬灯による回想
・死んだ知人との再会

これらはレイモンド・ムーディの調査と同じく臨死体験の原因となった出来事(事故や病気)に関わらず同じものであることや、新興する宗教による違いもほとんどないことが判明している。
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臨死体験には人間が夢を見ている状態になっただけであるといった意見があるが、死に瀕した人間が共通して似たような光景を目撃する理由は今も解明されていない。
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臨死体験、日は我が身である。