沖縄県与那国島の周辺海域には、まるで人工遺跡のような地形が存在している。
現在まで、この地形は遺跡なのか、それとも自然の生み出したものなのかという論争が続いている。
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この発見はまさに偶然の産物であった。
1986年に地元のダイバーである新嵩喜八郎(あらたけ きはちろう)氏が新たなダイビングスポットを探している時、与那国島南部の新川鼻(あらかわばな)と呼ばれる岬の沖合の海底で遺跡のような地形を発見したのだ。
発見されたものは、東西200mほどの巨大な岩を半分ほど加工したのではないかとみられるもので、階段のような造りも見られた。
この発見の後、沖縄各地で似たような発見が相次ぐことになる。
慶良間諸島(けらましょとう)ではサークル状の構造物が、他にも人工的に穴が開けられたとみられる岩も見つかっている。
これらが人工物であると過程した場合、かつて沖縄に存在していた文明は1つの共通した文化が成立していたと考えられていた。
しかし、そこに今日まで議論される衝撃的な説が発表されたのだ。
その説を唱えたのは、琉球大学の教授である木村政昭教授で
「幾度となく遺跡を調査した結果、この地形は古代遺跡とみて間違いない、もしかしたら失われたムー大陸の一部かもしれない」
と発表した。
大学の教授という立場の人間が発言したことで、この地形は海底遺跡であるといった情報が各地に広まることになった。
この説は遺跡のような形だけを根拠としているものではなく、木村教授の考えるムー大陸の説も根拠の1つとなっている。
木村教授のムー大陸の説とは、元々沖縄のある琉球列島は中国大陸から張り出していた部分で、そこが地殻変動によって分断され、一部は沈み現在の形になった。その時起こった災害が太平洋各地に伝えられていくうちに誇張されムー大陸の伝説となったというものだ。
そして、遺跡のような地形はこの時に沈んだ文明の一部ではないかというのが教授の主張である。
また、沖縄のロゼッタストーンと呼ばれる石版なども発見されていることから、木村教授はこの遺跡こそがムー大陸のものだと主張している。
一方で、この遺跡のような地形は人工物でなく自然が生み出したものであるという説も存在する(ロゼッタストーンに関しては何もわかっていない)。
似たような事例としてはビミニ・ロードなどがあり、それと同じように人工物であるという根拠に欠けていると同時に考古学会も遺跡説を支持していない。
現在この地形は遺跡として正確に認定されていない、理由は上記のように人工物である根拠が形以外に無いからである。
いずれにせよ、この地形が特別なものであることに変わりはなく、与那国島の財産であることもまた変わらないのである。