Harsh Things Spoken by Bad Boss ドリームキラー。日本を停滞させる考え方。
ドリームキラー
という言葉をご存じだろうか。

まるで映画のタイトルのような名前であるドリームキラー、実際には映画の主人公のようなカッコいいものではなく、現代に日本を停滞させる原因の1つと考えられている者達である。

近い将来、日常茶飯事に聞くことになるかもしれない興味深い単語だ。

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ドリームキラー(Drema Killer)とはその名の通り夢を壊す者という意味の言葉である(おそらく日本が発祥の言葉)。

夢(目標)を壊すとはどのような意味なのか。

想像してみると簡単である。

自身の夢(目標)を公言した場合に周囲の人間(主に親や友人)がどのような反応をするだろうか。

ほとんどの場合

「無理だからやめた方がいい」
「そんな馬鹿なことを言ってはいけない」
「失敗したら一生を棒に振る」

といった答えが返ってくるだろう。

このような言葉を発する人間はドリームキラーと命名されている現代の日本を停滞させている考え方の持ち主とされることがある。

ドリームキラーという言葉は最近になって使われるようになった言葉で、より価値観の多様化が進んだ若い世代と付和雷同してきた団塊世代の間のジェネレーションギャップが産み出したものと考えられる。

若者にとって親の世代(30代後半~)は高度経済成長期真っ只中に生まれ、多くの人が右向け右の価値観で成長してきた。経済成長真っ只中とはいっても、インターネットが発達した現在のように世界中と繋がっていたわけではなく、大人はの証は酒タバコ麻雀で人生はサラリーマンといったような狭いの価値観が世に蔓延していた。悪い言い方をしてしまえば、流されるままに生活できる時代であった。

時は流れ、いつしか経済成長やそれに伴う経済的安定そのものが当時の狭い価値観と根拠なく混同されるようになった。そんな中、日本は失われた20年に突入し、高度経済成長期を知る世代は過去の栄光(当時と同じことをしていればいつか景気が回復するといった根拠に乏しいもの)を夢見るようになる。

当時の価値観を引きずる世代と多様な価値観に触れる若者世代の間には当然大きなギャップが生まれた。

無難(保守的)に生きていれば生きていける(生活することだけは出来る)と考える親の世代、そのような生き方をしても経済的自由があると思わなくなった若い世代。目標や夢を公言する若者に対し、当たり障りない無難な道(若者目線では否定的な道)を示す親世代。これがドリームキラーの正体である。

この場合ドリームキラーには悪気があるわけではなく、親の場合は純粋な善意であることが多い。無難に生きてこれた世代であるだけに価値観を変えることは困難で、どうしても軋轢が生まれてしまうのだ。

親世代が上層部に君臨する日本では、これらの価値観のために変化を嫌う傾向にある。

また、人は否定的な意見を必要以上に強く認識してしまう傾向があり、記憶に残る言葉も否定的な言葉の割合が多い。

悪気が無いにもかかわらず、若者の目標に対してついつい否定的な言葉を発してしまい、それがより多くの可能性の芽を摘むことになっている(目標達成の弊害となってしまう)。

若者世代の中にも自身の意思を強く持つ者は決して多くない。
そのため、たった1度でも否定された場合には心が折れてしまうのである。

「どうせ自分なんか」
「才能が無いから」
「これが現実」

という悪循環に陥る。

対処法があるとすれば、ドリームキラーの発言を他人の言葉として聞き流すことくらいである。

若者の価値観が多様化する現在、ドリームキラーという言葉が一層ポピュラーな単語となるかもしれない。