250px The Thinker%2C Rodin 思考停止に要注意!普通という言葉は危険信号!近頃、日本中で思考停止人間が増えているように感じることが多い。

思考停止とは、その名の通り考えることが止まってしまっている状態のことである。何故思考停止人間が増加したように感じるのだろうか?

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前提として、
自分勝手な考えを貫くこと=思考停止していないということではない。

多くの人が日々常々多くのことを考えながら生活を送る。そして、あらゆる場面で自身の決断により物事を選択するが、その際に自分で考えた上で納得した決断を下せている人はどのくらいいるだろうか?

これを読んでくれているあなたが、ある場面でとった行動に対して
「何故その行動をとったのですか?何故その選択をしたのですか?」
と聞かれた場合、しっかりと理由を述べることができるか想像してもらいたい。

例えば
「何故1日に3度食事をしているんですか?」
「何故飲みたくないのに飲み会に行くんですか?」

こんなものも
「何故野球部は坊主なんですか?」

我々の周りに当たり前のように存在することを質問形式にしてみる。
そして多くの人がこれらの質問に対する答えとして、それが普通であり常識であるからと答えるだろう。

上記のように回答した人もしくは少しでも上記の答えが頭を過った人は思考停止人間になる可能性があるので要注意である

思考停止人間にならないためには常に考え続けることが大切である。

しかし、これにはとても労力が必要で、時として答えにたどり着かないことによるストレスを感じることもある。もちろん、たまには休憩が必要であることは言うまでもない。

普通や常識といった言葉は、一見ありふれた言葉に見えるが、実際には思考が停止した時の逃げ道となる言葉であり、いかようにも解釈できる魔法の言葉なのだ。

日本で思考停止寸前の人々が多く存在する理由は、右向け右と言われる国民性かもしれない。周りに流され自身の考えを押し殺していくうちに、その思考停止状態がスタンダードとなってしまうのだ。これら付和雷同(ふわらいどう)による国民性がもたらす行動や思考の結果、ある物事の答えが存在してもその根拠となる明確な理由が存在しないという点で思考停止との共通点がある。

外国人は我が強いと思われがちだが、実際には宗教的思想を色濃く思考パターンに影響させていることが多い。

フランスでは日本人が無宗教であると教えると、意外なことに
「あなたは自分というものを持っていないの?」
という答えが返ってくる。

これは、日本であまり聞きなれない信仰という言葉が人々の思考に大きな影響を及ぼしていることが原因である。実際に世界中で発生している戦争などは宗教観戦争である。

このように海外には宗教的思想を盲目的に信仰する人が多いように、日本では普通や常識といった言葉が、宗教的思想と同じような意味合いを持つまでに成長していると考えられる。

普通という言葉は信仰と同じ 普通や常識という名の戒律なのである。
このように考えると、日本人はある意味で普通教という宗教の信者かもしれない

これからの世の中は思考停止人間にとって厳しい世の中になるだろう。今まではあまり物事を考えなくても、付和雷同していても特に支障は無かったが、今後、世界では普通や常識という概念よりも、いかに合理的かということに重点が置かれるようになるだろう。

どんな時も自身の考えを持つ、疑問を持ち突き詰めていく。
この感覚を今のうちに養っておいて損は無いだろう。

いざという時、助け合いはもちろん大切であるが、足の引っ張り合いは必要ない。本当に必要なものは自身で物事を的確に判断できる考え方、その場に応じた柔軟な思考を引き出し、自身にとって最良の選択をする能力である。

その第1歩として、普通や常識という言葉に要注意することから始めてみよう
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