迷宮と聞けば多くの人が果てしない迷路を思い浮かべるだろう。しかし、具体的にどのような迷路を思い浮かべるだろうか。
迷宮とは世界中に存在するようで実はそうではない。
ギリシャのクレタ島に存在するクノッソス宮殿、その地下にある迷宮が世界中の迷宮のモデルとなっているのだ。
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クノッソス宮殿の構造は1500を超える数の部屋が4層に連なり、長さや配置の異なる階段や複雑に入り組んだ廊下が存在し、中には王の部屋や神殿、さらには浴槽なども設置されたものである。
実に豪華な建築物で、その複雑な構造から迷宮と呼ばれていた。
この迷宮には有名な神話も存在する。
クレタ島の王であるミノス王は神であるゼウスと人間であるエウロペの間に生まれ、子供のいないクレタ島の前王アステリオスに育てられた。
アステリオスには他にも養子がいたのだが、ミノスは海の神であるポセイドンの助けを受けて王位を継ぐことが出来た。
しかし、ミノス王はポセイドンとの約束を反故にして代償を払わなかった。
そこでポセイドンはミノス王の王妃と牛との間に半分牛の姿をした子供を作らせた。
これが有名なミノタウロスである。
このミノタウロスは人間を餌とする獰猛な生物であったため、ミノス王はそれを地下に幽閉しようと考える。
そしてアテネを追放されたダイダロスとイカロスに迷宮を作らせる(これが現在のクノッソス宮殿)。
ミノタウロス定期的に生贄を求めていたが、最終的に勇者テセウスによって倒される。
これがクノッソス宮殿の迷宮に纏わる神話の概要であるが、実はこの迷宮を含めた一連の神話(神殿の存在も含む)は史実と何の関係も無い創作物であると考えられてきたのだが、1900年にクノッソス宮殿がイギリス人考古学者アーサー・エバンズに発見され、同じ場所から次々に壁画・装飾品・絵文字・線文字が発見されたことにより一気に史実を基にした神話であったと考えられるようになった。
調査の結果、クノッソス宮殿が建築されたのは紀元前2000年ごろと推定され、当時はとても高度な文明が発展していたことが判明したが、そこで新たな疑問が誕生する。
宮殿には防衛機能が全く存在していなかったのだ。
都市国家が乱立していた時代に外敵が存在しないはずがない、しかしあまりに無防備なクノッソス宮殿造りは考古学者たちの頭を悩ませ続けている。
囚人を収監しておく場所といった説や神殿として使われていたという説が存在し、真相の解明が待たれている。
ご指摘のとおり、 ミノア文明において最大といってもいい謎はその部分です。 “壁がない” この一点につきます。
では、 なぜ彼らは自分達の住む、 このクレタ島の側辺に壁を設置しなかったのか ?
多分、 彼らには壁を設置する必要性がなかったのだと想う。
彼らが根城にしていたのは、 幸いにも大陸から離れた島で、 また偏西風や貿易風、 それと西地中海特有のつむじ風の影響によるきまぐれな天候もあり、 沿岸地でさえ容易に攻め込めなかっただろう。 地政面でうまく効を奏し侵略への危惧はなかったものと、 私は視る。 また、 彼らはもともと周辺諸国に対して、 ひとつの、 敵がい心や猜疑心などの、 いわゆる “負の感情” なものは持っていなかったのではないか、 そういうものとは違う別の思考が根底にあり、 彼らなりのやり方で周辺諸国とは十分渡り合っていた、 という事である。
ちなみにミノア文明とは、クレタ島のみをいうのではなく、 クレタから5・60km北に位置しているティリ島、 (通称サントリーニ島) を含めミノア文明である。
そのミノア文明の人が持っていた思考を考察する時に ” 壁を作らなかった ” という事が、 彼らが持つ思考の本質を見極めるのに適した標になると想うのである。
そこで、 壁のある状態と無い状態とを考えてみよう。 まず壁のある状態というのは、 先の話に出たミノタウロス、 この牛 ー ( 半牛半人か ) が幽閉されていた牢などは壁がある状態でしょう、 地下の暗い場所で慍悶としている、 自分の居る位置がはっきりとし、 壁の手前、 向こうというように内と外との境が出来て、 その境を越えるとまた違う位置に立つ、 との認識が生まれる。