地球上に当たり前のように存在している空気。
日本では存在感が薄い人を表現する言葉として空気という単語を使う場合があるように、その存在は人間だけでなく地球全体にとって当たり前のものである。
しかし、そんな空気の存在が遠い存在となってしまう時代がすぐそこに迫っているかもしれない。
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空気の缶詰である。
空気の缶詰は読んで字のごとく空気が詰められた缶詰で、セールスポイントは綺麗な空気だ。
日本では富士山山頂の空気を詰めた缶詰が販売されている。この場合は富士山の記念品であったり、ある種のユニークな商品という位置づけであるが、中国で本格的に販売されようとしている空気の缶詰は全く性質が異なるものである。
先述したように中国では深刻な環境汚染が広がり、人口が密集している都市部では特にその被害が深刻になっている。広大な中国の土地に対して大気汚染が深刻な地域は一部の都市に限られているが(それでもその面積は広大)、人口密集地域での汚染拡大という特性上、必然的に大気汚染の被害を受ける人口の割合は大きくなる。
そんな中、全人代で習近平氏の発言
「空気は幸せと結びついている、貴州省は空気を缶詰にして売ればいい」
が発端となって本格的な空気の缶詰を生産する計画が始まった。缶詰に使われる空気は中国南西部の発言の中にある貴州省のもので、同省では既にアイデアを公募している。
空気を詰めた缶詰は2012年の時点で既に存在していることから、今回が初めての試みではないようだ。当時の缶詰は大富豪として知られる陳光標氏のチャリティ活動の一環で、空気を缶詰にするという発想とその効果を期待する人々が話題となった(無料配布されたものの、実際に販売された場合の値段は1缶73円)。
空気の缶詰の開発理由の名目は人命を尊重した環境汚染対策であるが、仮に本格的な生産が開始されて空気の缶詰が一般的に流通するようになった場合、原価が低く価格が高い商品が大量に出回ることになり巨大な市場が誕生することになる(実際に缶詰の空気の効果が期待できずにとん挫する可能性も十分にある)。また中国のお家芸であるコピー商品の流通(汚染地域で製造されただけの缶等)や大量の資金が動いた場合には汚職や腐敗の温床にもなる。
無意識に吸っても何も感じることが無い(言い換えるならば無害)空気。中国ではそんな空気を買う時代が迫っているのかもしれない。